激変した時代の証人

仕入れスタッフが「戦後に作られた物で、単純だけど、すごくいい木目だよ」と、申しますので、入って来た物を見て・・・確かに、ケヤキの木取りが見事な板を使用していると感心しました。
しかし、よく見ると何か腑に落ちません。素材の割に構造は単純で、おそらく制作された年代であろう戦後・・・昭和20年頃の材料難の時代にこんなに贅沢なケヤキの使い方をするだろうか?。といぶかしみました。
それで、よく細部を調べてみて、ああこれは!と言う事に成りました。

画像


どこから見ても普通の本箱ですが、これは実は「看板」で出来ているのです。看板とはサインディスプレーの看板の事です。
だからと言って、どうして「ああこれは!?」なのと、お感じに成られたでしょう。でも、戦後、全ての日本語表記が左右逆転した・・・と、言ったら分かって頂けると思います。
つまり、戦後の占領政策とともに、日本中でケヤキの看板が不要に成った瞬間があったのです。一夜にして国語表記が逆に成るとはとても現代の私には信じられない一大事です。其の時に当然、ケヤキの板としてはそれこそ看板につかうわけですから木目の美しいケヤキ板が余り、結果として其の一部が家具等に転用されたという事が、商家の多い大都市で、かつ、空襲を免れた街であった歴史的な事実なのです。

画像


日本家具を修理している工房なら、当然、こういった家具には時々当たりますが、一般の方には珍しいはずなので、この機会にひとつの激動の時代の証人としてこうしてご紹介しておきます。業界としての呼び方が通説であるとは聞いた事はありませんが、私たちは「看板家具」と呼んでいます。これまで、火鉢や本棚等で何度も見かけていますが、それでも全体から見れば時代が経過して淘汰された事も考えれば珍しいと思います。正直、関西の日本のアンティーク家具に限定して現時点で500個に一つ程度以上の頻度の物だと思います。
こういう家具に出会うと、私たちの知らない・・・生活史の奥底に人知れず埋もれている現象というのは以外とたくさんあるのだろうなあという感慨を抱かずにはおれません。

そんな、小さな歴史のパーツが一つでも伝わって行けば日本の歴史も豊かに成るだろうなと柄にも無く、ちょつと引いて考えてみてしまう今日この頃です。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック