京都から脱力系定点観測!

アクセスカウンタ

zoom RSS 歴史の断面図

<<   作成日時 : 2007/01/12 19:55   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像


西国街道の乙訓郡を抜けるなだらかな坂道。
現在の町名は京都府向日市鶏冠井町山畑。
今から約1200年前、
西暦785年九月二十三日に遷都責任者の藤原種継が
造営工事視察中に暗殺された場所です。
今となっては当時の事件を物語る物は全く在りません。
鎌倉期に成立した石塔寺の門前に当たる為、
石塔寺の門脇に教育委員会による案内看板が
かろうじてそれに触れています。

藤原種継は当時の正三位中納言で、
桓武天皇の義理の父親に当たり
藤原四家の内の一つ藤原式家を代表する人物でもあり、
当時の政府主脳の一人でしたから
現代なら新聞一面トップは間違い在りません。
「遷都長官種継氏現場視察中に暗殺」
と大見出しが踊る事でしょう。

その後、捕縛された暗殺者の証言から
国政を揺るがす一大疑獄事件へと発展し
首謀者とされた名門大伴家は没落、
連座疑惑をもたれた皇太子早良親王は廃太子として
淡路島へ流される途中、絶食して憤死するという
ショッキングな結果を招きます。
同時にこの事件は藤原式家没落の原因と成りました。
結果としてこの凶事が大規模な遷都都市である長岡京を
たった10年で廃絶させ山城盆地の地層の下へと葬ります。

遷都と言う国家事業の頓挫を決定付けた事件・・・・
時代的に比較しずらいにせよ本能寺や桜田門外に比べて
遥かにマイナーで京都でもこの場所を知る人は少なく、
平安京のエポックとしてもう少し皆さんに知ってもらいたい・・・
と思うのは歴史好きのひが目でしょうか?

暗殺された種継は母系が山城盆地を中心に栄えた渡来系の秦氏ですから、
遷都にあたっての土地の選定を巡り、
背後に地勢的勢力闘争が遭った事は容易に想像出来ます。
観光する類いの史跡では在りませんが、
歴史の複雑さを体感する場所としてこういう場所や歴史にもスポットを当てるべきでは?
と思う今日この頃です。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
歴史の断面図 京都から脱力系定点観測!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる